ゆうちゃんの家

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【エッセイ】マイノリティ・弱者を生み出す「強いワード」

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【おことわり】

いつもはこのブログでは、科学的根拠・科学文献に基づいた生活に役立つ話をお届けしております。時折、私なりの多少の解釈を加えることはあっても、私の個人的な意見をメインでお届けすることは基本的にありません。これは私のポリシーでもあります。

理由は二つあります。下記の通りです。

理由①:私の個人的な意見とはつまるところ統計用語で言うところの「n=1」にすぎない。n=1の意見が皆様のお役に立つかどうかは、科学的且つ統計学的根拠をもって示すことができないから。

理由②:私はかなり極端な考え方の人間。よって私の個人的意見・体験はごく一部の人にしか当てはまらないと考えている。そういうものをブログで多くのかたに配信しても意味がないから(日記にでも書けばいいじゃん!となる)。

 

ただたまには思いついたことをつらつら検証もせず書いてみたいなと思いました。

「あ〜、世の中にはこんな変なやつもいるんだな。可哀想に」くらいに見てやっていただければ幸いです(笑)。

 

 

【と言うわけで本題】

いきなりですが、私は社会不適合者だと思います。

私のことを簡単に書きます。某製薬会社に勤めており、創薬研究を行っています。年収は秘密ですが1000万円まではいかないくらいで、独身の一人暮らしです。残業・休日出勤は全くなし、1日の労働時間はぴったり8時間、通勤時間は片道15分です。仕事でつまづいたことはほぼなく、研究はもちろん社内外の交渉ごと、プレゼンでも困ったことはありません。人一倍優秀と言うわけではないのでしょうが、比較的昔からなんでもそつなくこなす方です。裕福ではないですが独り身としては収入・貯金は十分です。自由な時間もあり、のんびり暮らせているほうだと思います。

ただ繰り返しますが、私は自分のことを社会不適合者だと思っているんです

なぜそう思うようになったのか?自分でもよく分からないけど確信がある、そんな思いにとらわれていました。そこでちょっとそこんとこを深堀して考えてみることにしました。

たとえば私の欠点は、別に人と話すのが嫌いだとか下手だとかはないのですが、そもそも人と関わりたいという欲求がないのです。だいたい30分に一回は一人にしてほしいです。以前、記事でスキゾイドパーソナリティの話を紹介させていただきましたが、まさにあれです(スキゾイドに私が似ていると言っているだけで、スキゾイド=社会不適合者と言っているわけではありません)。

でもよくよく考えてみると、人と関わりたいという欲求がないからといって、なぜ社会不適合者だと自分のことを思うのだろうと考えてみました。別に今の時代、そんなコトよくあることでしょ、と思います

そこで思い至った一つの可能性が「強いワード」の悪影響です。

 

 

【「強いワード」】

よくありますよね。「強いワード」。流行とかブランドとかレッテルとかラベリングとかカテゴリーとかでもいいですが。例えば以下のようなものです。

 

例①:コミュニケーション能力が大事

例②:協調性が大事

例③:コツコツやり抜く力

例④:思いやりが大事

 

こういうのって色々な本やメディアにも頻繁に登場します。偉い人もいいますね。テレビもいいますね。新聞にも書いてありますね。上司も言いますね。コンサルタントも言いますね。コミュ力大事ですよー、チームワーク大事ですよー、と。繰り返し繰り返し言います。念仏のように言ってきます。成仏しそうです。

でもこの「強いワード」、よく考えてみると結構怖い効果があるのです。その効果とは「集団にヒエラルキーを作り出し、強者と弱者を生み出す効果」「マイノリティ集団を生み出す効果」です。

 

もう一度上記の例を精査してみましょう。この「強いワード」を妄信的に世の中が信じてしまい、それに従って動いたらどうなるか考えてみましょう。

 

例①:コミュニケーション能力が大事

コミュ力低いやつはダメ⇒コミュ力低い人は罪悪感抱いたりや自己肯定感低下

例②:協調性が大事

協調性のない人・個性的な人・ユニークな人はダメ、一部の天才や秀才が存在することの否定、みんな同じでないといけない、結果や才能はさておいて努力と血と汗だけが評価されるマッチョな文化が出来上がる(でもいざピンチになると「独創性が大事!」とか「一人一人が声をあげないと何も変わらない!」とか言い出す始末。)

例③:コツコツやり抜く力

⇒閃き否定、同じ仕事量なのに効率良く仕事終わらせて帰宅する人よりも効率悪く時間かけて居残る人の方が頑張ってると評価される傾向・結果軽視とプロセス過剰重視

例④:思いやりが大事

自己犠牲を強要あるいは賞賛する文化構築、個人的意見や立ち振る舞い否定

 

もちろん全ての場合で上記のようになるとはいいません。自分の頭で考える能力のある人がいれば大丈夫でしょう。ただ、本に書いてあること、偉い人が言ったこと、みんなが言ってることなどの「強いワード」を表面的に盲信し、運用すると上記のように散々なことになります。

 

たとえば「自分はコミュニケーション能力がない...」と自己嫌悪に陥っている原因の一つは、「コミュニケーション教」が幅をきかせてるからなんです。その結果、教えを盲信する宗教団体になっちゃってるから、当然異端者扱いされる人も出てくるわけですよ。

コミュニケーション能力が低いっていっても別に何にも喋れないわけじゃないでしょ?普通に自分で生活できるぐらいにはみんなしゃべれるでしょ?

それなのに「コミュニケーション教」に所属する信者どもが幅をきかせ、その能力順にヒエラルキーを勝手に作るといういらんことを始めて、その結果コミュニケーション強者と弱者が生まれる。こうして強者と弱者とが、メジャーな集団とマイノリティ集団が生まれる。で、弱者側・マイノリティ側に追いやられた人は罪悪感や劣等感を感じ、自己肯定感を失うのです。「あいつだめじゃん」レッテルを貼られる。

時折やってきた外の人間が「これおかしくね?」と言ってももう遅いです、だってもう完全にカルト宗教になってますから笑「これが我が社の文化です!」とか訳の分からん合理化まではじめる人もいます。あ、ちなみにそういうコミュニケーション教幹部は、例外なく知能の低いタイプのサイコパスかソシオパスかなんかだと思ってます

 

 

とかなんとか考えてみると、「私ってつくづく人嫌いなんだな」と思いました、というお話でした。

 

 

【まとめ】

①「強いワード」を盲信的に信じないように。「本当なの?」「それって本当に必要?」「もっと良い方法はないの?」などの論理的思考・クリティカルシンキングやゼロベース思考を使って、有益か・合理的か・生産的かを徹底的にチェックしてから採用するかどうか決めること。

 

②「強いワード」はそこら中に転がっている。

 

③「強いワード」の盲信のせいで、本来組織や社会に必要かどうかも分からないものさしでヒエラルキーが形成される。その結果、その組織や社会に本来必要なのかどうかもわからない強者が幅をきかせ、大事な人材が弱者側・マイノリティ側に追いやられる危険性すらある。

 

④自分が悩んでいるのが、自分に原因があるのか、所属している狂信的な教えに原因があるのかを区別する。後者だったら悩む必要なんてない。

 

 

以上です。

関連過去記事は下記にまとめておきます。

参考にしてください。

それではまた次の記事で!

 

 

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