【日記】自閉症スペクトラムの人の一日(休日ルーティーン編)
【概要】
自閉症スペクトラム・ADHDと診断された私の一日を連載として書いていこうと思います。
多少スキゾイドパーソナリティっぽいところもありますが、こちらは未診断になります。
平日編と休日編です。
ゆるく、とりとめもなく綴っていきます。
今日はとある土曜日の午前です。
【モーニングルーティーン】
今日は、とある土曜日。
機能性ディスペプシアの持病があるので、今日は朝から消化器内科へ通院なので早起きする。
午前5時。
寒いのでホットコーヒーを飲みながら、好きなYouTuberの動画をチェックする。お気に入りは「水溜りボンド」さんや「はなお」さんなどだ。朝のどんよりした気持ちが少し晴れる。
それからたき火の音源を流しながら、私の朝のルーティーンは始まる...というほどスイッチが入る感じではなく、本人的には「流す」感じだ。
のんびりした朝の時間は好きなのだが、この季節の朝5時は暗くて滅入るし、散歩に行く気もない。
ソファの上でとりとめもなく時間が流れていく。
コーヒーを飲み終わったので冷蔵庫をあけミネラルウォーターと薬を飲む。薬はプリンペランとアコファイド。食欲を増進させる薬だ。これがないと朝食があまり食べられない虚弱体質なのだ、私は。
相変わらず冷蔵庫には4種類の飲み物(水・豆乳・アップルジュース・コーヒー)のみ。一度こだわったもの以外は食べたり飲んだりするのを極力避ける習性がある。
これはもう幼い時からの習慣だ。多分「感覚過敏」なのだろう。
周りからもよく言われた。
「いつも同じもの食べるね」
「またそのお菓子食べてるの?」
そう、一度ハマると抜け出さない・抜け出ないのが私なのだよ。
なので自販機の前で「今日は何の飲もうかな〜」なんて悩んだことは生まれてこのかた一度もない。
買うものはいつも決まっている。
冷蔵庫の隣のキッチンの棚には、カップ麺が並んでいる。新しいカップ麺を試そうという気はなく、いつも決まって同じものを用意している。
さらにそのとなりの壁掛けカレンダーには、週の半分以上に「◎」がついている。「◎」がついている日は外食あるいはお弁当を買う日と決めている。
こういうことをやらないと、私は延々と毎日カップ麺を食べるという破滅的な食生活を送ることになる。
いわゆる「こだわり行動」というやつだ。
私の場合、意識して行動しないと、変な習慣にハマって抜け出せなくなる。
カレンダーとメモ帳は必須。
秋の朝空が漆黒から深い青色に変わる瞬間が私が好きだ。
理由はない。好きだから好きなのだ。
ベランダに出てホットコーヒーを飲みながらぼんやり空を眺めて過ごす。
きれいな空を見て少し元気になり、部屋を簡単に片付け、シャワーを浴び身支度を整えた。
ふかふかのニット帽を目深にかぶり、その上から防音用イアーマフをかける。
この二つのアイテムがないと、人ごみに出た時、「感覚過敏」で感覚がイカレてしまう。
通院なのでマスクも装着し、遮光用の薄いサングラスをかける。
もともと視力が弱いので、コンタクトをしなければ余計なものを視界に入れずに済むので今日はコンタクトはなし。病院は近所だし。
【朝ご飯】
今日は近くのお店で朝ご飯。
まあまあ人がいるため、ニット帽にイアーマフは付けたまま。
人がいると落ち着かない気分になるので、読書に集中して気を紛らわす。
朝は体調がいい日が多いので、朝ご飯は人並みには食べられた。それだけでも一日安心する。体調が悪い日はまったく食欲がわかない日もある。そんな日は不安でしょうがない。
お店をあとにする。
お店をあとにする瞬間は爽快な気分になる。
人ごみから抜けられるからだ。
【病院】
朝9時に予約していた。
私は時間通りに約束通りにならない場合、かなりいらいらしやすいという易刺激性があるため心配したが、時間通りに診察を受けることができた。
この主治医はほとんど検査や薬の提案をしてこない、典型的な機械医師だが、人柄は良いので通っている。
医者選びにはこだわる方なのだ。
いくつもの病院に通って今の病院に決めたのは、通ったなかで一番優秀だったからだ。
専門的な話をふってみても、きちんとこちらのレベルに合わせて回答してくださる。
(私は自分の病気は自分で調べて、自分なりの意見を持ってから必ず臨む。これは病気に関わらず何でもだ。)
とても優秀な先生なのは明らかなので、もっと患者に色々提案してもよいのでは?
医師の診察によると過敏性腸症候群は明らかな回復の兆しがあるとのこと。ずいぶん前から薬は不要になった。
機能性ディスペプシアはまだ薬に頼っている状態。
いつもどおりの薬を処方され、お会計を済ませて、病院を出る。
この病院を出る際も気分爽快になる。
もう一度言うが、大嫌いな人ごみを抜けられるからだ。
【近くの森へ寄り道】
病院の近くにちょっとした「森」がある。
ここが私のウォーキングコースだ。
といっても復職してからは週末しか通えていない。
この「森」は、東京の都会の喧噪の中とは違って、お年寄りが体操をしていたり、子供達が野球をしていたり、ランニングをしていたりと、静かな時間が流れている。
うるさい機械音や、人工的な匂いとは無縁の空間。
そんな中、私は(ランニングはキツいので)ウォーキングをしながら写真をとりながら、ゆったりした時間を楽しむ。
秋の「森」は色とりどりの木々に覆われ、暗い道を照らす木漏れ日は幻想的で美しい。
この「森」は私のお気に入りスポットだ。
ここでは人ごみも気にならない。
周りの世界を遮断する防音イアーマフもいらない。
素の自分でいられる気がした。
この「森」から出るとき、爽快感を、私は感じない。
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