考察記事:みなさんはどう思う?「閃き」vs「分析・論理思考」
<はじめに>
このブログでは、いつもは科学的根拠・統計データなどを引用して、生活に役立つ知識や身近な疑問に答えを出していくというスタンスで記事を書いています。
ただ、今回はどちらかというと考察記事になります。
私が常々疑問に思っていた「直観力」「閃き」「自動思考」「無意識の思考」について考察してみたいと思います。
今回はいつもの記事とは違い、個人的意見が多くを占めてしまうとは思いますが、みなさんと一緒に上記課題について考えていければなと思います。
私はよく推理小説やドラマの展開・結末を予測しようとしたり、IQテストや謎解きやクイズ・パズルに取り組んだりするのが好きです。また研究者という仕事柄、アイディア発想や問題解決も楽しんでいます。
そういうことに取り組んでいるとき、少なくとも私の場合は、論理的・分析的に考えるより先に、直観が働く傾向があります。上手くは伝えられないのですが、まずはじめに直観というか感覚的に「アイディアや答えのなんとなくぼんやりしたイメージ・感覚・印象・図形・記号・絵」が数パターン浮かんできます。そのあとでそのイメージをもとに、論理・分析思考で微修正を加えてアイディアや答えを完成させるというパターンが圧倒的に多いのです。そして多くの場合、その直観はだいたい当たっています(もちろん全く手も足もでない場合もあります)。
<直観とは?>
人間に直観が存在すること自体は科学的に証明されています。
直観思考の特徴は、分析的な思考に比べて、圧倒的にスピードが速いという特徴があります。さらに直観思考は、分析的思考とは異なるプロセスで行われる思考ですので、いつもの分析的思考にはなかった新しい発想・アイディアが得られるという利点があります。
ただ問題なのは、この直観によって得られた答えが当たる場合と外れる場合があることです。
<直観・自動思考・閃き・無意識の例>
たとえば私たちが歩くとき。
いちいち意識して歩いていませんよね。
分析思考で判断しながら歩くとすると「右足を前方45度の角度であげ、身体を前に出しつつ右足を地面に下ろす。右足が地面に着地したら次は左足を...」みたいになるわけですが、そんなことを考えずとも無意識に身体は動いているはずです。たまにつまづいたり、転んだり、ぶつかったりすることはあろうかと思いますが、だいたい大丈夫ですよね。
たとえば初対面の人と会ったとき。
あなたは相手に対していろいろな判断を無意識下で行っているはずです。
自分より背の低い人だな、声が通る人だな、靴は年季が入っているけど鞄は新品だな、この人は圧迫感があるな、少し息が上がってるから電車が遅れて遅刻しそうになったのかな、上手くやっていけるかな、表裏のありそうなひとだな...などさまざまな判断をしているはずですが、いちいち頭の中で上記のことを言語化していませんよね。
たとえば小説を読んでいるとき。
理由は分からないけどなんとなく、感覚的・印象的にこうかな・ああかなと考えてたら、実際その通りの展開になったり。
とある研究によると、人間は一日に数千回の選択・判断を行い、5万回の考え事を行っていると言われています。ただこれを聞いても多くの人はそんな自覚はないでしょう。私だってそうです。ただ直観は上の例が示すように確かに存在しています。その直観や自動思考が無意識下で行われていたり、言語化されていなかったりするため、覚えていない・意識しないだけなのではないでしょうか?
ではこのような直観や閃きなどの由来はなんなのでしょうか?この答えに関しては私は明らかだと思っていて「今までの経験や知識」であると思います(私は科学者なので天啓とか神のお告げだとかのスピリチュアル的なものは信じません)。これは当たり前ですね。人間の思考は脳内で行われます。よって脳内に存在しないものが素材となって、直観・閃きという思考産物を形成するはずがありません。
<一般論的に直観と分析的思考はどちらが優れているのか?>
私の経験を抜きにして考えれば、すなわち普通の感覚で考えた場合。
質が良く適切な量の事実データを収集し、仮説立案を行い、実験検証し、仮説の精度を高めて、論理的・目的・生産性の観点から正しいことを確認した上で結論を出す方が精度は高まると思われます。
しかしながら少し文献をリサーチしてみると、直観のほうが分析的思考よりも優れているという研究報告が結構あったのです。
大学生を被験者にしたある研究の結果です。
彼らに「今から見せるお菓子の写真を、人気の高い順に並べてください」と指示を出します。その後被験者を二つのグループに分け、片方には「見たまますぐに答えてください」と伝え、もう片方のグループには「時間をかけてよく考えてから答えてください」と指示しました。
その結果、なんと「時間をかけてよく考えた」グループの正答率の方が低かったのです。
またコロンビア大学での実験で、株価の予測実験を行いました。その結果、「自分の感情を信じてものごとを判断する」傾向の強い被験者は、「理論や分析を重視する」傾向のある被験者よりも、25%も予測の精度が高かったという報告もあります。
しっかりよく考えたから間違ったり、理論や分析を重視したから正答率が下がったりする例が報告されているのです。なぜこのような現象が起こるのかはよく分かっていないようですが、この事実データから私たちが受け取るべきメッセージは「直観が向いている場合と、分析思考が向いている場合の、少なくとも2パターンが存在する」ということです。よって私たちは「閃き・直観・無意識の思考・自動思考」と「いつもの論理的・分析的思考」の少なくとも2パターンで課題に取り組む方が安全であるという考察になろうかともいます。
<閃きや自動思考には速いものと遅いものがある?>
閃きときくと速い思考のイメージですね。私もたいていそういう印象です。
ただ遅い閃きもあります。
これは聞いたことがある方も多いと思います。アイディア発想の基本、「準備⇒あたため⇒閃き⇒検証」です。
歴史上の多くの偉人・発明家たちの逸話(どこまで真実かは分かりませんが)によると、懸命に集中して考えたのち(準備)、ふと休憩をとり(あたため)、その際急に閃いて(閃き)、実際に確認してみるとすごい大発見や問題解決をしていたという前例が多々あります。
たとえばベンゼン環の構造式を発想した化学者。どれだけ考えてもその構造が分からなかったそうですが、夜寝ると、夢の中で6匹の蛇が互いの尻尾に噛み付いて輪を作っていたそうです。その結果、高校の化学の教科書にも載っているベンゼン環構造を閃いたそうです。
ノーベル賞を受賞したDNAの増幅方法(PCR法といいます)を閃いた科学者も、アイディアを閃いたのは研究室で熟考していた時ではなく、恋人とドライブしていた最中だったそうです。
<閃きや自動思考の精度を上げるには?>
とはいえ、やはり閃きや自動思考の産物は外れている場合もあります。これはなぜでしょうか?どのようにしたら閃きの精度を上げることが出来るでしょうか?
私は閃きの精度を下げている一つの原因に、心理学で言う「バイアス」があると思います。これをまず回避する必要があるでしょう。
バイアスの種類には、有名なものでは「確証バイアス」「正常性バイアス」などがあります。人間にもともと備わったものなので、バイアスに思考がとらわれてしまうことは避けられないそうです。対処法はバイアスの種類を知識として知っておくこと、そして「今自分の考えはバイアスの結果ではないか?」と常に考えることしかないでしょう。
また論理的誤謬も回避すべきものの一つでしょう。「早まった一般化」などはやりがちな誤謬だと自覚があります。
また閃きや自動思考の精度を上げる習慣として、「日記をつける」「知識・情報を増やす」「新しいことに常に取り組む」ということを実施中です。
前述の通り、閃きや直観の方が当たるケースが存在するのは事実です。かといって分析的思考の方が有利な場合もあるでしょう。自分の場合はどういうときに直観が向いていて、どういうときに向いていないのかの傾向を知るためにも、日記をつけるのは効果があるのかなと思っています。
また閃きも脳内情報に依存するため、常に質のよい新しい知識や考え方・情報を持っておくことが重要でしょう。
さらに、閃きも脳内ネットワークが密かつ広範囲であれば閃く確率は上がるはずです(扱える情報の種類が増えるため)。脳内の神経細胞のネットワークは可塑性が高く、新しい経験をすると、それに従って新しい神経回路が構築されることがわかっています。そのような脳内変化は閃きにとって良い効果を生むと考えています。
以上が私の考察と取り組みになります。
まだまだこの問題は私も試行錯誤を繰り返している段階ですので、とりとめのない文章になっているかとは思いますが、閃きの精度を上げることが出来れば、きわめて短時間で重要な決断を出来ることになりますので、有益な課題であると思っています。
引き続き挑戦を続けていきます!
それではまた次の記事で!!